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近畿地方環境事務所

アクティブ・レンジャー日記 [近畿地区]

六甲山グルーム祭

2013年06月11日
神戸
梅雨入りしているはずですが、あまり雨が降っていないようですね。今夏は水不足になるのではないかと少々心配をしております、神戸自然保護官事務所の多賀です。

前回の日記は海でしたが、今回は早々と山に戻ってしまいました。6月5日は「六甲の日」でして、これを祝い、山開きの儀式も兼ねたグルーム祭が6月1日に開催されました。今回はそのお話をしようと思います。

グルーム祭って何?と疑問に思われたかたもいらっしゃるかと思いますが、グルームとは英国出身のグルーム氏(アーサー・ヘスケス・グルーム(Arthur Hesketh Groom)、1846年~1918年)という方のお名前で、グルーム祭はその方の業績をたたえるお祭りです。それでは、なぜ六甲山でグルーム氏を讃えるのでしょうか。



グルーム祭(山開き)の様子
画像右側にある銅像はグルーム氏の記念碑です。

実は、六甲山系は外国人ととても縁の深い山でして、中でもグルーム氏は「六甲山開祖」と呼ばれています。1868年に神戸へ出張員として訪れたグルーム氏は、1895年には六甲山の中にレクリエーションの為の山荘を建て、彼に続いて他の外国人や日本人も山荘を建てたそうです。やがて冬にはアイススケートやスキーを楽しむ人々の姿があらわれ、日本初のゴルフ場も誕生しました。そのように外国人が多く訪れていた時代の名残でしょう、今でも六甲山の登山道の名前にはシュライン・ロード(Shrine Road)、パノラマ・リッジ(Panorama Ridge)、アゴニー坂(Agony)など横文字の名前が多く使われています。

外国人による六甲山でのレクリエーションの中には出勤前の朝の散歩(登山)があり、これが地元市民に普及して「毎日登山発祥の地」へとつながり、その毎日登山の活動の中から日本初のロッククライミングを目的とする山岳会の誕生にいたります。とにかく六甲山は「日本初」のものが多い場所です。



グルーム祭へ向かう途中で見かけたチョウ・・・に見えますが実はガです。
その名もキンモンガ。小さくてかわいらしいです。

そんな六甲山ですが、明治時代には過去の伐採、石材採取、柴や薪の収集、度重なる山火事などによりはげ山になっていました。六甲山がはげ山だった時代の写真はネットで検索するとすぐに出てきますので、ご興味があれば、今の六甲山と見比べてみてください。その違いにびっくりされると思います。



こちらもグルーム祭へ向かう途中で。
ウツギの花と・・・花粉まみれの甲虫、同定できず申し訳ないです・・・。

そんなはげ山だった六甲山系は、外国人と市民によるレクリエーション活動が広がるにつれて緑化活動が行われるようになり、明治30年代ごろには行政による植林が進められるようになりました。
今では深い緑に包まれる国立公園でありながら、昔ははげ山で、外国人を開祖に持ち、登山者に愛され続け、眼下には広大な海と輝く都市が広がるそのユニークさは、全国でもここにしかないのだろうなと思います。

少し浸ってしまいましたね。
それでは皆様、また次回まで♪