大台ヶ原のある紀伊山地は、200万年前頃から現在にかけての新生代第四紀(人類紀とも言われる)に、1,000m以上隆起したとされています。日本アルプスもこの時期に1,500m以上隆起したと推定されており、この第四紀は日本列島の隆起が活発化した時代です。通常、山地の隆起とともに河川などによる侵食作用も激しくなりますが、大台ヶ原は、隆起が激しくなる前に形成されていたなだらかな地形が、まとまって残されている珍しいところです。
第四紀には、激しい気候変化が繰り返されてきました。最後の氷河時代で最も寒かった2万年前頃には、大峯山地や大台ヶ原の稜線付近はツンドラ地域と同じか、ほぼそれに近い環境であったと推定されています。大峯山地に現在分布するシラビソ(シラベ)やトウヒなどの亜高山帯針葉樹林は、当時は大台ヶ原でも生育していたと考えられています。
約1万年前に氷河時代が終わり、気温が上がり始めると、トウヒ林やシラビソ林の分布域は気温は低く標高が高いところへ移動しました。6千年前頃には、気温はピークに達し、現在よりも2℃ほど高かったと推定されています。気温は1,000m上がると大まかには約6℃低下しますから、2℃高かったということは、場所によっては、植物分布の上限が最大で300~400mほど上がっていたと考えられます。この時期にシラビソ林は、大台ヶ原から消え、標高の高い大峯山地では残ることができたのです。大台ヶ原には、かろうじてトウヒ林だけが残りました。
このように、大台ヶ原のトウヒ林は、氷河時代から現在までの気候変化を語る生き証人なのです。