ドライブウェイができたのはどんな時代だったの?
A.昭和30年代の高度経済成長期、自動車の販売台数も増加し、立山や富士山でも道路開発が進むなか、全国的な登山ブームが到来しました。昭和30年代開通時は、昭和34(1959)年の伊勢湾台風の影響が色濃い状態でしたが、登山者は急増しました。
観光の山としての整備<戦後期>
昭和36(1961)年、奈良県道40号大台ヶ原公園上川線(別名:大台ヶ原ドライブウェイ)が開通し、来訪者は年間1万5千人程度から約4万6千人へと急増しました。また、同年、奈良県、近畿日本鉄道株式会社、本州製紙の出資により、吉野熊野観光開発株式会社が設立され、昭和37(1962)年に大台荘が完成。昭和39(1964)年には、大台ヶ原集団施設地区が指定されています。昭和40(1965)年には、大台ヶ原ビジターセンターが開設され、昭和50(1975)年には山上の遊歩道を拡幅、舗装するなどの整備が進められました。昭和56(1981)年に、大台ヶ原ドライブウェイは無料化され、翌年には、大杉谷の吊橋、登山道の整備、山上駐車場の全面舗装、筏場道の整備などが行われました。
写真撮影:岡田庄三氏(奈良県立図書情報館今昔写真WEB蔵)
写真提供:成瀬匡章氏(奈良県立図書情報館今昔写真WEB蔵)
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キーワード
岸田日出男、吉野熊野国立公園、公園計画、特別地域、大杉谷探勝路、大台ヶ原ドライブウェイ、大台ヶ原集団施設地区
