大台ヶ原にどんな人が関わったの?
A.明治以降の大台ヶ原は、探検家や修行者、植物学者などが入山し、その価値が認められ、国立公園に指定されました。
松浦 武四郎 (1818~1888)
松浦武四郎は文政元年現在の三重県松阪市に生まれ、幕末期に蝦夷、樺太、千島の探検を行い、「北海道」の命名者としても知られています。大台ヶ原へは68歳の時、明治18(1885)年に最初の登山を行ったあと、3年にわたり大台ヶ原を登山し、開山のために私財を投じて石標や小屋などを作りました。西大台には本人の遺言に従い、松浦武四郎の分骨碑が建てられています。
古川 嵩 (1860~1930)
万延元年、美濃(現在の岐阜県郡上郡美並村)に生まれ、明治24年に初めて大台ヶ原に上がりました。この地を修行の場と定め、最初は約100日間、ついで厳冬期にも3ヶ月間単独で滞在し修行を続けました。明治26(1893)年より、大台教会の建設に着手し、明治32(1899)年に完成しました。古川嵩は、牛石ヶ原にある神武天皇像の建立や八木測候所の依頼を受けた気象観測、登山者の宿泊の世話などにも尽力し、大台ヶ原開山の中心となりました。古川嵩の墓所は、苔探勝路沿いの小高い丘の上に見ることができます。
白井 光太郎 (1863~1932)
白井光太郎は東京帝国大学農科大学の教授を務め、博物学、植物学の発展に大きな功績を残しています。また、史蹟名勝天然記念物調査会の委員を務め、植物学の分野で天然記念物の調査をおこない全国各地の天然記念物指定に尽力しました。明治28年に白井は大台ヶ原の植物調査を行っています。大正5(1916)年に講演会で製紙会社の伐採に対して大台ヶ原の自然の重要性を説き、原生林保存運動のさきがけとなりました。
岸田 日出男 (1890~1959)
奈良県の農林技師であった岸田日出男は白井光太郎に触発され、それ以降大台ヶ原の自然の調査と紹介に尽力し、吉野熊野国立公園指定運動の地元の中心人物となりました。
写真提供:成瀬匡章氏(奈良県立図書情報館今昔写真WEB蔵)
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キーワード
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